てぃーだブログ › セルフラーニングの日々

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ブログ引っ越しのお知らせ

2011年10月24日

九州の実家に戻って、一年が経ちました。
年に数回、沖縄で、バカンスのような時間を過ごすような生活になっています。
最初思っていたように、沖縄と九州を行ったり来たりはなかなか難しくなりました。
仕事をやめて一年がたち、NPOも開店休業状態です。

これからの人生は、九州で過ごすことになりそうです。
どんなふうに生きていきたいか、じっくり考えようかなと思っているところです。

そんなわけでブログ引っ越しします。
古民家暮らしと南の島とというタイトルで新しいブログを作りました。

まずは日常のあれこれから。
教師でもなく、人の集まる場所を仕切ることもなく…
セルフラーニングという言葉も、出てきませんが、よかったらのぞいてください。

26年過ごした沖縄は私にとっては故郷と同じくらい大切な場所で、出会ったたくさんの人とは、これからもずっとつながっていきます。改めてよろしくお願いします。  


Posted by テレーズ at 12:13Comments(0)

医者の仕事

2011年06月08日

私は小さい頃は病院通いが多かったと母が言うのですが
今はほとんど病院に行かない私。
久しぶりにおなかをこわし、なかなか治らないので
母の月一の診察のついでに診てもらいました。

父の最後を看取ってもらったお医者さま。たぶん、私より少し若い?と思うのだけど、同世代。
久留米弁丸出しの診察です。

人のおなかを診察しているのに、私が書いた「一日に飲むお酒がビールコップ一杯」というのにこだわって
「残ったビールはどうしてるの?」と聞くお医者。
「娘が飲んだり、だれも飲まなかったら、サランラップで冷蔵庫」
「おいしくないやろ~小さな缶も売っとるよ~」

予想通り診断はただの風邪なのですが、先生と話すとほっこりする…
要は「大丈夫」が聞きたくて、人はお医者様に行くのだろうと思います。

大学病院一辺倒だった父に、「近くのお医者さんを見つけておかないと往診してもらえんよ」といったのでどこからか見つけてきたU先生。
医学部で長いこと物理を教えていた父なので、教え子になるのですが
「お父さんには悪いけど、ようと覚えとらん…」という…

それでも父はこの先生を信頼していて「よか先生じゃろ」と言っていました。

私がかなり強引に大学病院から父を退院させ、うちに連れ帰ったとき
「家で死なせるのは簡単にはいかんぞ」と脅したのもこの先生。

動揺した私を支えてくれたのは久留米訪問看護ステーションの腹の座った看護師さんでしたが
大学病院とのちょっとした行き違いを自ら電話して訂正してくれたのはU先生自身でした。

うちで看取ることの大変さを知っていて、私たち家族の負担が大きくなることを心配しての脅しだったと気が付いた私は、改めて私の決心の固さを伝えると同時に、先生への感謝の気持ちを口にしました。
「先生の愛を感じました」と言ったように思います。

我が家で父を介護したのはたったの一週間でしたが、その間毎日診察に来てくれて、どんなに心強かったかを思い出します。時には一日二度来てもらったこともありました。

もっとも強い言葉で、私の決心を揺るがした人が、私が腹を決めると同時に、もっとも強力なサポーターとなりました。父がなくなる前の日、「どんなにちゃんと看ていても、亡くなるときはあるから、それは看護する人の責任ではないよ」と、予防線をはって、帰っていきました。

「あの先生はよか」と言っていた先生に最後を見てもらった父、
教え子に診てもらいたいと言っていた父
そして家で死にたいとずっと口にしていた父の希望を叶えることができたのは、U先生あってこそと思います。

私の飲み残しのビールを気にしている先生のことがおかしくて、おなかが痛いのも忘れてしばらくにやにやしていた私です。

母のかかりつけになってもらって、高血圧の薬を出してもらうため月に一度診察に行くのですが、それがずいぶんと安心につながっている気がします。

医療訴訟などなど、医者など信用できないという人が多いし、自分が受けた診察に不満の人もたくさんいる時代…つい最近お父さんを見送った友人も「お医者がね~もう少し早く何とかしてくれたら」と不満を漏らしていました。

お医者さんだったら、すべてのことがわかって、命を救うことができると考えるのはちょっと安易すぎると思います。命の長さはたぶん、ある程度決まっていると思うから。
どんなに医療が進歩してもできることとできないことがあるし、だいたい人間の力の及ばぬこともたくさんあるというもの。お医者さんにすべてを任せて、責任を取ってもらうというのは酷な話です。

だれでも必ず死ぬのだから、その時に信頼できるお医者さんに出会えた父は幸せだなと思います~  


Posted by テレーズ at 08:36Comments(3)

梅仕事

2011年06月06日

梅の実がなる季節に、梅干しをつけたり、梅を使って保存食を作ることを「梅仕事」というのだそうです。
実家の梅の木は8本くらいあるのですが、紅梅白梅しだれ梅といろいろです。
その中で、玄関に一番近いところにある梅の実が食べるのに適しているそうです。

実はひと月以上前、庭木の消毒にきた植木屋さんに「あの~梅の実、大丈夫でしょうか」と言ったら、最近の消毒液はあまり強いものはなくて、定着性がないので収穫するときには大丈夫ですよ」と教えてくれたついでに、「しだれ梅の実は種が大きくて食べられないですよ」と。

梅の実はすべて食べれるものと思っていたのですが…

そんなわけでインターネットなど調べつつ、そろそろ収穫の時期だと思い、思い立って梅の実を取りに行きました。

梅干しは在庫整理が必要なほど余っているし、お酒はなかなか減らないので、梅酒ならぬ梅ジュースを作るつもり。

1.5キロほどの収穫でした。鮮度抜群。
自分のうちでとれたものを食べる楽しさは格別です。よく洗ってフォークでつんつんつついて、お砂糖に埋めて、そのうち時間が経つと果肉からジュースが出てきて、それを煮詰めて梅ジュースの出来上がり。

さて、庭にもたくさんの雑草が生えてきているのですが、命の力のすごさに目を見張ることが多いです。
取りきれなくて、裏庭はびこった雑草に小さな花が咲いています。

先日見ていたテレビの園芸番組で寄せ植えにクローバーを植えていました。
「ああっ、あれはうちの庭では雑草なのに~それうえるのぉ~」

クローバーの生命力はなかなかのものです。花もきれいと言えばきれいだが、苔庭には邪魔。

つくづく「雑草」という分類もまた、人間の勝手が作り出したものだなあと思います。
さてさて、今週末は沖縄なので、行く前にもうひと頑張り庭仕事です^^  


Posted by テレーズ at 11:42Comments(0)

誰かに大丈夫と言ってほしくて…

2011年05月25日

教育の現場からすっかり離れて半年。
何をしているかと言えば、花を育てています…
父が残していった広い庭と、花壇と、らんの鉢。
見よう見まねでやっています。

花壇の花は、手をかけてやると、ちゃんとその成果が現れるからいいと昔誰かが言っていたのですが、本当にその通りだと思います。
そして、人を育てるのと似ている部分もたくさんあるなあと思います。

たとえば、
同じ種類の花でも、ぐんぐん大きくなる早熟の花もあれば、いつまでも株が大きくならないのに、ゆっくりゆっくり大きな花を咲かせてくれる株もあります。

大事なのは個を見て、適切な手入れをすることか。

それと、
結論を急がないこと。時を待つこと。

苗を買ってきて植えたら、三週間くらいは変化がありません。
それくらいたつと、我が家の土になれるのか、元気よく伸び始めます。

沖縄にいるとき、プランターで少し育てていたのですが、あまり気が付かなかったのは私が忙しすぎたのか、沖縄が暖か過ぎたのか?

それにしても、三週間もの間、「大丈夫か」と思いながら見守るのは時に悩ましかったりします。

話は飛びますが
放射能汚染の中、子どもを守りたい親たちの気持ち、ほんとに切実なものがあると思います。
テレビのニュースでもいろいろ言っているし、専門家の意見など出ているみたいですが、「どれくらいまでなら大丈夫なのですか」という質問は難しいみたい。
放射能って、とにかく少なければ少ないほうがいいというものらしいです。

なんとなく不安に駆られて
誰かに大丈夫って言ってほしいんだろうな~という気がします。

でも現実には、だれにもそんなことは言えないわけで…
特に要職にある人はそういう発言は難しいでしょう。間違っていたら、あとで大変なことになるから。

放射能問題に限らず、誰かに「絶対大丈夫」と言ってほしい人たちが、現代はたくさんいる気がする。
それは、反対側からみると、自分に自信がなく、責任を取りたくない?取れない?からなんだろうな。

小さな花を育てていても、この肥料でいいのかね?水はこのくらい?って悩むこともたくさん。
誰かに「これで大丈夫」って言ってほしいよ。
確かに専門家に聞けばある程度のことはわかるけど、絶対大丈夫はないです。

みんな、もう、そろそろ腹をくくってみたらと思います。
というか、ハラをくくるしかないんだよね。
自分の人生、自分の子どもの未来、他の人に責任を取ってもらうことはできないと思う。
人のせいにして生きているうちは何も変わらない…
そう考えると落ち着く先が見えてくる気がします。
  


Posted by テレーズ at 11:11Comments(0)

直観の力

2011年05月12日

大体半世紀生きてきて、自分の人生を振り返ってもいい年齢になったと思うのですが、ここ十年の一番の変化は「頭で考えること」が問題だということを自覚し始めたことだと思います。

なんであんなに考えることがあったのかというほど、頭の中が考えでいっぱいになった青春時代を送りました。出産子育ての間も、考える人であり続けていたのですが、ある時から、考えないことの大切さに目覚めました。

それまでは、「考えない人」は馬鹿だと思っていて、そんな風になりたくないと思っていたのですから不思議です。

知識を持つこと、論理的に考えること、それがすべてに勝ると思っていた時には、本を読んだり知識を吸収したり、必死でした。だって、考えるためには素材が必要…世の中の真理を知らなければならない…
けど、ある時ふと、そんなことできるわけないと気が付いたのでした。 

そのことが、教育とは何かと考えるときに、大きな鍵になります。

知識や論理的思考に勝るとも劣らぬ大切なこと、それは、自分がもともと持っている力に気が付くことなんですね。

朝日新聞に『夜と霧』で有名なフランクルのことばを巡っての記事が連載されていました。
ナチスの強制収容所に連行され生き残ったフランクルの言葉で「それでも私は人生にイエスという」(うろおぼえですが)というのがありました。

なぜ私がこんなに大変な目に合わなければならないのかと思うと、人は、自分の人生の意味を問いはじめ、意味がないなら、生きていたくないという結論に導かれていきます。
でも、そうではない。人生があなたに問うているのだ、というようなことでした。

うまく表現できませんが、今どう生きるかがそのまま答えになるということ。
自分を問うのではなく、とにかく、目の前のことを大事にすること。一歩一歩歩いていくこと。

教育というのは、その人がどう生きたらいいかに迷った時、道しるべとなるものを手渡すことなのだろうと思っています。

だから、どんなにおもしろくても、教師が知識を伝えていくだけの授業をするのはまずいだろうと思うのです。
世の中には教育とは知識の伝達だと思っている人は多いかもしれないですが…

だからと言って、礼儀作法、倫理観などを伝えるのが教育でもない…

こんなことを書き始めたのは、このところ「直感が大事」と言い続けていたからです。
で、ふと気が付いたのですが、そういうと、私には直観がないという人や、私は直観が優れているという人がいるのですね~でも、どうも違うようです。

気が付いたのは
直観が大事なのでなく、何か、うまく説明できないけど、こっち、と思ったとき、それでいいと自分を信じる力こそが大事なのだと。

結果的に直観に裏打ちされているからこれでいいと自己肯定を続けていると、次の道が開けてくるんだろうなと思います。
だから、
「直感が間違っていた」ということはあり得ません。

間違っているのは直観を信じきれなかったことなのです。ふむ。

頭で考えないことの大切さを書きながら、思い切り考えてしまいました。  


Posted by テレーズ at 16:09Comments(0)

恐れがもたらすもの

2011年04月25日

昨日の夜中に九州でも結構強い地震があって、ドキッとしました。
東北関東の大震災から一か月を過ぎ、新聞やテレビを見る限り少しずつ落ち着きを取り戻しているようです。
直接の知り合いに被災した方がいないので、新聞などで情報を得ているのですが、数日前の新聞に放射能の影響を心配して子どもを連れて九州に逃れたお母さんの話が載っていました。

よくわからないのですが、放射能に関してマスコミに報道されていない真実があるという情報がメーリングリストに届いたり、知り合いから回ってきたりしています。過剰に反応する人もいるのかもしれないなと思います。
私も30代だったら、そういうものに振り回されていたかもしれない。
あまり、動じないのは、人の体のことをだいぶ学んだからです。
放射能の影響はがんという形で現れます。日本人の三分の一ががんで亡くなるらしいので、がんはとても身近な病気ですが、その原因は特定できないのです。

私は3年前に子宮頸がんの手術を受けていますが、その時、大学病院の婦人科の教授と話した時の衝撃を今でもよく覚えています。
「先生、手術をしてとってしまったら、もう、がんにはならないのでしょう」
「いやいや、そうだったら、がんの死亡率はもっと少なくなるよ。とってしまっても再発する可能性はある」

つまりは、再発するかしないかは、自分のからだとどう折り合いをつけていくかの問題なのです。そして、からだの状態は、心の持ち方と密接につながっているのです。
「笑うとがんにならない」という人がいるけど、自分ががんになって手術をして、心から笑える人はそういないと思います。それは無理というもの。

大切なことは「命への感謝を忘れない」ということなのだと思います。

再発に限らず、放射能の影響が多少なりともあるとして、それががんになるかどうかは、その人の生き方と大きくかかわっていると思うのです。

非科学的に思えるのですが、実は人の体の免疫力というのは侮れないものを持っていて、その人の心が安定して、まわりと折り合いをつけながら、自分の命やからだに常に意識を向けていると免疫力が力を発揮するのです。最近はそれも、医学的に説明をされているようです。

逆説的な言い方ですが、放射能を気にすればするほど、放射能が体に与える影響が大きくなります…
自分のからだの持つ生き物としての力を信じる方がいいのじゃないかと思うのですが…

それと子どもや自分自身が
がんにならないということがもっとも大事なことなのかどうか、考えてみるのも大事かもしれません…  


Posted by テレーズ at 09:29Comments(0)

春らんまん

2011年04月20日

桜が散り葉桜になったと思ったら、街路樹に珍しい花が…
一年をずっと久留米で過ごすのは25年ぶりなので、花の名前などすっかり忘れています。

母を車に乗せて走りながら、聞いてみると「ハナミズキ」との答えが返ってきました。

沖縄のうちのちかくにそういう名前の喫茶店があって、ひところよく行っていたのですが、ハナミズキとはどんな花なのか知りませんでした。

白と薄いピンクの二種類があると母は言うのですが、うちから街中に行く209号線沿いには街路樹にたくさん使われているようで、教えてもらってから急に目につくようになりました。

先週が桜の最後という感じでしたので、母を連れて「浅井の一本桜」見てきました。http://www.yado.co.jp/hana/fukuoka/asai/asai.htm
久留米市のはずれにあります。

樹齢110年の桜は幹も大きいのですが、じっと見ていると、長い歳月の間いろんなことがあったのだろうと思える幹の形をしていました。

木の下には小さなお地蔵さんがあって、昔の人たちは大きな木には何かの力が宿ると考えていたのでしょうか…桜の美しさもさることながら、津波のことなどもあって自然の力のすごさに圧倒されました。

数日前糸満のNさんからお電話をもらい、「部屋を片付けていたら通信が出てきて懐かしくなって」というお電話でしたが、部屋を整理したのは震災で親を亡くした子供たちを里子として受け入れるための準備をしていたのだそうです。

Nさんのところは前は児童養護施設の分園をやっていましたが、一旦それをしめ、里親として子どもを預かって、集団生活をさせています。6人の女の子がいるそうで、新たに、震災孤児を受け入れる準備をしているとのことでした。

東北で育った子どもたち、いろいろ大変な経験をしたでしょうが、沖縄でしばらく暮らすのはホッとするだろうな~とうれしい気持ちになりました。
Nさん張り切っていましたが、実際子どもの受け入れをしたら、落ち着くまで仕事が大変だろうなと思いつつ、こういう時、「自分ができること」を素早く始めるNさんらしいなと思います。

前にセルフラーニングの定例会を何度も開かせていただいたのですが、沖縄に帰ったら必ず会いに行こうと思っています。

カフェnaminamiもメンバーが変わってしまったし、naminamiから、自分のカフェを開いたこゆきさんも新しい仕事に就くらしく、今年の春はいろんな変化の春…
他にもいくつか、転勤や転職の話を聞きました。

でも、みんな進化している感じがして楽しみです。
我が家の息子の就職も決まりそうで、私もそろそろ「親」卒業の気配です。

…といっても、とっくに親離れしている子どもたちなのですが…
連休には夫も沖縄からやってきてみんな揃って過ごせそうです。

  


Posted by テレーズ at 08:50Comments(0)

今、できることを考えてみます

2011年03月16日

しばらく更新をさぼっている間に、大変なことが起きてしまいました。
地震と津波、そして原発事故。
被災された皆さんには心からお見舞い申し上げます。
一人でも多くの方が助かり、少しずつ元気を取り戻してくださることを心から祈っています。

何かしたいと思っている方もたくさんいると思います。

テレビで現地の様子を見ていると、すぐにでも駆けつけたいボランティアの方がいると思いますが、NPO関係のメーリングリストでは、慣れない人が熱い気持ちだけで出かけていくと、かえって現地の方々に迷惑をかけてしまうことを憂慮しています。

たとえば、ボランティアで行く人たちが、自分の食糧を確保していないと、少ない食糧をボランティアが消費してしまうことになりかねないそうです。

もう少し待って、「わたしたちにできること」をやりましょう。

今でもできることは募金です。
それもできる範囲で、大きめの…

それから、まずは自分自身の気持ちを静めてください。

地震の日からテレビに釘付けで、気が付くと私自身も妙な不安にとらえられています。
ヨガに行って呼吸法をやっているうち、そのことに気が付きました。
友人からいいメールが届きましたので、ここに引用しておきます。

くれぐれも、まず自分自身が心も体も健康でいることが先です。
人を助けるには自分がしっかりしていないとね。以下引用です。


以下、知り合いの臨床心理士からとても有益な情報をいただいたので、
シェアします。


【災害時のメンタルケア】

◆1.今こそ自分自身のメンタルケアを。

今はまだ地震直後であり、だれでもアドレナリンが噴出している時で
す。こういう時は何かをしたくてたまらなくなりますが、まずはその自
分自身の感覚に意識を向けてみましょう。細々意識してみることをト
ラッキングといいます。自分自身に対するサポートを最初にしてくださ
い。

私たちが落ち着いているか、不安エネルギーをまき散らしているかに
よって、様々なことが違ってきます。

◆2. テレビの視聴には気をつけてください。*特にお子様、感
受性の強い老若男女の方々。

身体がだるくなったり、ボーッとしたり、涙が出てきたり、妙な罪悪感
が湧いてきたり、不安状態にある自分に気づいたら、即刻テレビを消す
か、必要なニュース速報のみが流れてくる全く違う番組にしてください。

テレビで繰り返し繰り返し流される悲惨な映像は、非常に強い吸引力を
持ちます(とかく最近のメディアは人々の不安をあおるのが特徴です)。

人によっては催眠にかけられたようにテレビの前から動けなくなる人も
いるでしょう。こうした映像に何度も何度も自分をさらすことは、何の
役にも立ちません。

***私たちが生きていく為に必要な情報が得られれば、それだけでい
いのです!***

トラウマの渦の引っ張り込む力はとてもとても強力です。
サンフランシスコ大地震の時は、繰り返されるメディア報道が人々にも
たらすネガティブなインパクトは甚大だったといいます。

◆3. 今一番に必要なのは、身の安全を確保することです。
避難場所、食べ物、人々が安全かどうかをチェックすることが優先です。

◆4. そして非常時に最も大切なのは、人とのコミュニケーショ
ンです。
人を求めるのは、とてもとても自然なことです。

その時の自分の思いを言葉にして、所属するコミュニティでシェアした
り、身近な人に伝えてみてください。もちろん、手段はメールでも構い
ません。「メールに書きながら落ち着いてきました。大丈夫です」と
おっしゃる方、多いです。

ーーーー
以上、共感した方は、おともだちに共有してくださいませ。
  


Posted by テレーズ at 08:03Comments(0)

梅が満開です

2011年03月02日


実家の庭の梅の花が咲きました。
ここ数日の暖かさで満開になったようです。

表の庭には白梅、裏の庭には数種類の紅梅があります。
今がちょうど見ごろで、玄関を開けると梅の香りがします。

めじろが遊びに来ていました。
もちろん、蜜をすいに。
鳥からすれば、遊んでいるわけではないんだろな…

暖かくなったら、庭の草が目立ち始めたので、
ぼちぼち庭に出て草を取ったりしています。

父がいるときは、もっぱら父の仕事だったのですが
思うようにからだが動かなくなった二、三年前から私がやるようになりました。

父は
「いっぺんにやろうと思っちゃだめだ。毎日少しずつやりなさい」とよく言っていました。

はぁ~セルフラーニングだよ、と思った覚えがあります。

いっぺんに大きな成果を得ようと思うと、焦るばかりで何も得られず腐るばかり。
少しずつ、少しずつ、時々休んでもいいからあきらめずにやっていると、ある日大きな変化が訪れる…

大学生たちを見ていても、そんなことをよく思いました。
自分のことはなかなかわからないのですが。

くじけず毎日やろうと思っています、庭の草取り。
毎日やれなくてもいいから、めげずにやろうっと。  


Posted by テレーズ at 16:11Comments(0)

人のせいにしたくなる時代?

2011年02月24日

高校教師をしている娘の話を聞くと
非常識な要求をしてくる親はどこにもいるようです。

モンスターペアレンツをモンペと略すそうですが
モンペの話を聞いていると腹が立つやらおかしいやら。

特に自分の子どもだけは特別扱いしてほしいという要求が目立つようです。

これは、「もっとも少ない努力で最大の成果を得ることが素晴らしい」という発想からくるものかもしれません。同じ授業料を払うなら、自分の子どもに最大の見返りをということなのでしょうか?

自分のことを振り返ってみても、親が学校にクレームをつけたくなる時には、子どもがいろんな困難にぶつかるときですが、それはこどもが育つチャンスでもあります。

子ども自身に課題があるということで、学校が悪いと決めつけていては何も変わらないと思うのですが。

ふと、医療現場のことを思い浮かべました。

知り合いのお父様が亡くなって、そのお通夜に行ってきたのですが、そこにはやはり医療現場の対応の悪さやお医者さんを責めるような言葉がありました。

医者だったら命を救えるはずという期待のおおきさが、できなかったことへの恨みになって帰ってくるのかもしれないのですが、それ以上に、今の悲しみやつらさを受け入れきれないことが、そのまま、だれかの過失を責めることにつながるようにも思います。

誰かを責めても、問題は少しも片付かないとうすうす気が付いていながら、その思考にたどり着いてしまうのは、今のご時世の傾向なのかもしれません。

なんとなく、この人たちのせいにしておけばみんなが同調してくれるというターゲットに、医者や教師がなっているようです。貧乏くじを引いている感じ…

ただ言えることは、ひとのせいにしている間は何も変わらないということ。
それはすべて後ろ向きの考えだからです。

自分が引き受けるべきものを受け止める力は、整体では「ハラの力」というそうで、丹田に力がない現代人の体の特徴でもあるのかなと思います。

モンペの方々に丹田を鍛える方法を教えるのはどうだろう(笑)  


Posted by テレーズ at 09:04Comments(0)

沖縄から戻りました

2011年02月21日

沖縄は思った以上に寒かったです。
夜はエアコンをつけていましたので、ちょっと意外でしたが、帰る日になって暖かくなりました。

用事がたくさんあって、ばたばたしていた前回と違い今回はいろいろな気づきがありました。

一つは「仕事とは何か」ということ。

沖縄に戻る直前にある人から仕事についての相談があったのですが、その時から漠然と感じていたことがはっきりした気がしました。

それは、仕事あることがその人にとって周りからの評価を意味するようになっているときは、まだ、本物の仕事ではないということ。

お金をたくさん稼ぐこと=自分の評価が高い
という図式で生きていると苦しいということ。

次々仕事がある=自分は高く評価されている
という図式も同じ。

そうではなくて、目の前に現れてくるものをひとつづつ丁寧にやっていくことが大事なんだと思いました。

まだうまく説明できないのですが、自分のわくわくや興味の延長上に仕事があるとき、心も体も気持ちよく生きていけると感じます。

沖縄で出会った何人かの人の話を聞いているうち、そんなことを感じました。

結局のところ、自分の価値は自分で決めるのがいいと思います。
仕事をしていないから気が付いたことなのかもしれません…  


Posted by テレーズ at 18:27Comments(0)

結婚したい症候群?

2011年02月16日

NPO仲間のある方から「バツイチの娘が婚活中」と聞きました。
「美人だから、すぐ決まるんじゃないですか?」と言ったら
「だから、なかなか難しいわけさ~」と返ってきた。
なるほど。

昨日会った方も「結婚したいけどなかなかうまくいかなくて」と話されていました。

女の人は子どもを産む年齢にリミットがあるので、びみょ~です。

いろんな方の話を聞くと正直理想が高い(笑)
というか
相手の人がずっとそのままだという前提で見ているような気がします。

人は変わるんだけどな…
一緒にすごしている時間が大事なんだけどな…

結婚26年目にもなると
昔けんかしたことなどすっかり忘れていますが、わが家もずいぶんもめた(笑)

全く違う人生を歩んできた人が一緒に暮らすのはそれはそれは大変ですが
実はかなりの部分は
ナントでもなるんじゃないかと思っています。

大切なことは相手の「こうしたい」を尊重する気持ち。
こちらだって、「こうしたい」を尊重してほしいから。

結局自分を変えたくないから、相手を変えようとするし
相手の欠点をあげつらいたくなる…

ははは、こんなことを書いていると自分に降りかかってきそうですが
実際そうですね~

なんか就活を思い出してしまうのですが…

「私には、私にしかできない仕事があるはずだ。天職にめぐりあいたい」
と言う人も多いですが、実は仕事ってほとんどおんなじです。

約束を守れるか、できないことをできないと言えるか、
自分ができないことを学び、自ら身につける力を持っているかなどなど。

それって結局、自分の能力をどれくらい正しく知っているかと、関わる人との関係をチャンとやれるかと言うこととつながります。

職種が色々あっても、中身はほとんどそれに尽きます。

だからね、
結婚もそうだと思うわけです…

どんな人と結婚してもある程度うまくやれる人になればいいわけです(笑)

みんな幸せになってほしいんだけどな。  


Posted by テレーズ at 11:03Comments(0)

沖縄に帰ってきました

2011年02月12日

11月からなので、三ヶ月ぶり。
帰った日はうちにつくと炊飯器がことこと音を立てて、ご飯が炊けました。

一緒に外食に行こうと思っていたら、夫がご飯をしかけていたのでした。
さっそく、天神のデパ地下で買ってきたものと、夫が作ってくれたおみそ汁で夕飯。

夫がずいぶんと料理が上達していて、おいしいごはんに満ち足りた気持ちです。

隣に夫がいる時間が幸せ。
遠く離れている時間があるから、お互いが大事だと思えるのだと思います。が、一緒に暮らせればそれもいいのだけれど…もうしばらくは仕方ないですね。

今日は「どこかに行こうよ」と夫が言うので、恩納村までドライブに行きました。

子どもが巣立ってからは、時々二人でリゾートホテルに泊まるのを楽しみにしていたのですが、今年はなかなか難しく、ちょっとだけリゾート気分でお茶を飲むことにしました。

ルネッサンスホテルはケーキセットのケーキが二個つくんですね~
二人分のケーキセットを頼んだのですが、一つに変更しました。今の時期だけのさくらのケーキが美味。

恩納の駅で、野菜を買って帰ってきました。連休をめいっぱい。あれも、これもとやりたいこと、あいたい人が浮かんできます~
しばらく沖縄の暮らしを楽しむことにします。  


Posted by テレーズ at 21:55Comments(0)

さびしい誕生日?

2011年02月09日

仕事に行った娘からメールがあって
「K子さんの誕生日なんだけど、一人らしい…どうしよう」

娘の仲良しのK子さんの誕生日なのだそうです。
いつもだと仲良しグループが集まって誕生会を開くのですが、いろいろあって、友達は長崎に。
娘も夕方まで仕事とあっては、なかなか準備ができないというので「じゃ、うちで一緒にご飯を食べようか」ということになりました。

母と娘と私の食卓ですから、一人増えても準備は変わらず。
一人暮らしだと鍋物をする機会がないよねと思って、しゃぶしゃぶにしました。

庭からとってきただいだいでポン酢にして、JAで買ってきたとりたてのホウレンソウを入れて…

せっかくだからとケーキも買って小さなお花を用意して…

娘のともだちの誕生日とはいえ、誕生日はうれしいものです。
一緒にイギリスに留学に行き、二人でヨーロッパのあちこちを旅行した仲の二人…

人は、だれかほかの人のかかわりの中で育っていくし、つながりの中で生きていくものだと思っています。
血のつながりも大事だし、家族のきずなを大事にしているのですが、家族だけではどうにもならないことも時にはあるし…

息子も娘も囲って育てるつもりは毛頭ありませんでしたが、家族のきずなが強かっただけに、一人暮らしになってのさびしさと戸惑いもあったようです。
そんな体験があって、人への共感が生まれるのかなと思ったり…

K子さんの26歳の誕生日をお祝いしながらそんなことを思っていました。

ちなみにわが娘は、今月末の誕生日は彼氏のところで祝うそうです。
ちょっと残念なような、よかったような…  


Posted by テレーズ at 09:34Comments(0)

友人の電話

2011年02月07日

家が広いので、豆まきが大変でした(笑)
こんなに広かったっけ?
母がなくなるからあんまり豆をまくなというので、ケチな母にちょっとおかしくなりました。

豆まきを無事終え、娘は金曜日の午後から大阪へ。
友達の結婚式なのです。
娘が出発してしまうとなんだかぽっかり暇になった感じがして、古い友達に電話をしてみました。

十年くらいは会ってない気がするのですが…
独身で仕事をしている同級生。
なんとなく気になってご両親のことを聞いてみたら、
お父さんは認知症が出ていて、ほとんど毎日デイケアに行っているそうです。

お母さんも少し危ないかもといいつつ、仕事はやめられないので近所に住むお姉さんが時々来て、世話をしてくれているらしい。

会社でフルタイムで働いて、帰ってきたら介護では、大変だなと思いました。

私も、去年の初めころまでは、親の介護のことを心配していました。
いろんな話を聞くにつれて心配になり、あれこれ想定していたのですが、父は寝付くことなく亡くなりました。

前もって予測を立てて準備をするというのが、近代の学校で学ぶことの一つなのでしょうが、世の中の多くのことは予測不能。
不確かな予測に対して立てている対策ほど役に立たないものはなく、それどころか、いざという時の邪魔になるような気がします。

どうしていいかわからないとき助けになってくれるものは、実は直観。
変な話ですが、「なるようになる」と腹をくくることができたら、いい考えが浮かんでくるのです。

と、友人の電話を切って、父の最後のひと月を思い出していました。
予測のつかないことの連続で、無事乗り切れたのが不思議なくらいでしたから。

それとちょっと感じたこと。
認知症はちょっと「さびしさ」や「生きがい」と関係があるんじゃないかと思います。
誰からも必要とされないと思うと起きるような気がする…

父がなくなる一年くらい前に言っていた言葉を時々思い出します。
「誰の役にも立たないのなら生きていても仕方がない」
古い家のメンテナンスを一手に引き受けて、工務店に頼むようなことも自分でやっていましたから、それが父の生きる力になっていたのかなと思います…

私の生きる力は?とふと自分の老後のことを考えてしまいました(笑)  


Posted by テレーズ at 08:59Comments(0)

春の気配

2011年02月03日

娘が出ていく7時半頃、門のあたりまで送っていくのですが
今日はいつもよりも明るい感じがしました。
夜明けが早くなったようです。

「あ、春が来たかも」
今日は節分。明日が立春。
そして今日は旧暦の一月一日ですね。

沖縄は旧正月をするところが多いので、昨日あたり市場はにぎわっていたことでしょう。
そして新年のあいさつを交わしている人も多いはず。

節分で一年区切りというそうで、母と日吉神社へお参りに行きます。

「鬼は外~福はうち~」とまくお豆はスーパーで買うのでなく、神社でお祓いをしたお豆をまくのです。
長いこと沖縄に住んでいる間に、豆は買うものと思い込んでいました。
そうだった!


久しぶりに母と神社に行って、節分大祭の様子を見てきます。
確か、くじがあったはず。


節分を一区切りとして新しい年が始まるので、厄年なども節分までと聞いたことがありますが、父が亡くなっての喪も、この辺が区切りかなと思います。
今朝は娘が珍しく出勤前に仏壇を拝んでいました。
おじいちゃんの夢を見たとか…去る者日々に疎しというけれど、いつの間にかどんどん記憶が遠ざかっていく気がします。

そうやってつらい記憶が消えていき、幸せだった記憶が残っていくのかもしれません。
さてさて、今日も元気で!

  


Posted by テレーズ at 08:42Comments(0)

からだと向き合って

2011年02月01日

沖縄にいるときは週に一度のバレエのレッスンと、ヨガ教室に行っていました。
バレエはインナーマッスルを強化するストレッチとバーレッスン、
ヨガのほうはどちらかというと体をゆるめる目的だったようです。
時々帰ったときは、ビジターでレッスンに参加させてもらいます。

でも、久留米での生活が長くなり、どこかで体を動かすところとおもったのですが、さすがにバレエ教室を探すのは気が引けました。
だって、へたなんです(笑)
とりあえず周りについていくのがやっとで、これで「十年やっています」なんて言えない…

長い間私の変化を見てきている幸美先生だからこそ、続けていられたんです。

というわけでバレエをあきらめ、ヨガ教室を探しました。

沖縄での私のバレエの先生由香さんははたヨガなのだそうですが、たまたま、市民プールのヨガ教室がよさそうで、行くことにしました。
なにぶん、格安。

こちらもはたヨガだそうです。

沖縄と違うのは、体育館に暖房が入っています~よかった^^
それでも、寒かった先週はお休みが多く5人でした。いつも15人くらいはいるのにね。

母と過ごしている毎日もそれはそれで楽しいのですが、たまに一人になって自分の体に向き合う時間は大事です。
呼吸に意識を向けてみると気持ちがどんどん落ち着いていくのを感じます。
リラックスしたらねむくなったり…

腰がやばそう、とか、肩がこっているとか、その時の状態がわかります。

今の自分がどんな状態か、自分で見ることのできる時間は大事ですね~

さ、これからヨガ教室に行ってきます。
帰りはJAによって、野菜買うつもり。
雪もほとんどとけてお日様がさしてきました。ちょっと春が来ているかな?  


Posted by テレーズ at 11:19Comments(0)

15センチは積もっています!

2011年01月31日

朝起きたら、一面の雪でした。
本当に今年の冬は寒いです~

家がすっぽり冷蔵庫に入ったみたい…

7時半の電車で通勤の娘は大慌てで出ていきました。沖縄の感覚で車で送ろうかと言いかけて、凍り付いた道路は車のほうが帰って危ないと気が付きました…

沖縄で免許を取ったので、雪道教習も一応受けたけど怪しいものです。
この前など、フロントグラスが凍り付いて、ワイパーでもどうにもならず焦りました。
あとで見たら、そういう時使うヒーターのボタンを発見。

雪もそうだけど、新燃岳の噴火のニュースを見ていると、自然の力のすごさを思います。
自然の力の前では、人間も自分のもともと持っている力でしか対抗できないのかもしれないですね。

屋根の雪下ろしや、スコップで灰を取り除いているところを見たりすると、しみじみそう思います。

雪の日は、車より、自分の足で歩くほうがいい…
私も今日は歩いて買い物行ってきます^^
  


Posted by テレーズ at 08:58Comments(2)

雪景色をみて

2011年01月30日

昨日の午後から降り始めた雪が積もって
朝は雪景色になっていました。

雪が降ると見慣れた風景が全く違って見えるのが不思議です。

私が通っていた高校は福岡にあって、創立百年を超えた校舎はずいぶんと古い建物でした。
寒い日は窓の隙間から雪が降りこんでくるというすごさ。
恐ろしいことに教室には暖房がありませんでした。

私はこの学校が大嫌いで、よくぞ不登校にならなかったと思うくらいの嫌な気持ちで通学していました。

ある雪の日いやいやながら登校していくと、風景が一変して、全く別の場所にきたみたい。
なんだか少しウキウキして学校に行きました。

ちょっとしたきっかけで、見慣れたものが違うものに見えてしまうという経験は時々あります。

父とのかかわりでもある日そんなことが起きました。
いつもはバースデーカードに「元気で長生きしてください」と書くのに
その年に限ってそれが書けなくなっていました。

父が生きるということを、子どもの立場で見ていた時には
できるだけ長生きしてほしいと思っていました。
永遠はあり得ないけど、大好きな人にはずっとそばにいてほしいから。

ところが去年の夏に限って父自身の立場で父が生きることを考えました。
いつかはやってくる「死」
生きることが終わりに近づいたとき、どんな終わりをむかえるのがいいのか。

その視点から私の立場を見てみると「父をどんなふうに送るのか」という目線になります。

一日でも長く生きてほしいとのぞむことが本当に父のためなのか?
それは、子どもの側のエゴではないのだろうか。

願いは「長生きしてほしい」から「幸せな終焉を迎えさせてほしい」に変わりました。

それはある日突然に起きました。なぜそんなことが起きたのか今でもわかりません。

そのあとから次々にいろんなことが起きて父を見送ることになりました。

この転換が起きる前に、父を見送ることになっていたらきっと混乱して大変だっただろうと思います。
それとも、私が準備オーケーとなったから父は逝ってしまうことになったのか?
不思議なことです。  


Posted by テレーズ at 16:06Comments(0)

小さな出会いと別れから

2011年01月29日

父が亡くなって4か月が過ぎました。
今でもどこからかふらりと出てきそうな感じがします。

書斎で日記を書いているとか
庭掃除をしているとか
買い物をしているとか
がらりとふすまを開けて「寒い~」と入ってきそうな
そんな感じがする時があります。

まだ、父が亡くなることなど実感のないときに
亡くなったらどれほど悲しいかと考えてみたことがあるのですが
実際にいなくなってみると
想像していたほどのつらい感じがあまりないのは不思議です。

なんとなく、いつも
そばにいるような心持ちがします。

亡くなってしまうと、
遠く離れて暮らしていた時よりずっと身近に感じると
ある人が言っていたのですが本当にその通りでした。

つらいかどうかは見送った時の状況次第で
今回は送る側にも逝ってしまう側にも心残りがあまりなかったからなのかもしれません。

ただ、結婚して25年実家から離れた沖縄に暮し
帰省して戻るときのつらい気持ちが嫌で
特に年とってからの父と母を残して沖縄に戻るときはたまらない気持ちでした。

この次元気な父と母に会えるかどうかわからないと自分に言い聞かせ
二人の姿を目に焼き付かせてから空港に向かったものです。
小さな覚悟とともに。

でも今考えてみたら
その小さな出会いと別れが
父の死と向き合う予行演習でもあったのかと思えてきます。

本当は「明日も生きているかどうか」なんて誰にもわからない。
目が覚めないのかもしれない。
それでも
そんなことはたぶんないだろうと思いみな生きているのでしょう。

今生きていることが当たり前のことではないと感じられるのは
大事な経験なのだと思います。
もし、ずっと父と母のそばで暮らしていたら、もっと違う感情を持っているだろうなと思います。

そう考えると、家族が離れて暮らすことも悪くないのかなと思ったり…

現実に、一緒に暮らしている家族の不和の話もよく聞きます。
一緒にいることのありがたさはそれがなくなって初めてわかるのでしょう。

一人っ子の私を嫁に出した父がそんなことを考えていたのかわかるようなわからないような…
  


Posted by テレーズ at 15:57Comments(2)