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小さな出会いと別れから

2011年01月29日

父が亡くなって4か月が過ぎました。
今でもどこからかふらりと出てきそうな感じがします。

書斎で日記を書いているとか
庭掃除をしているとか
買い物をしているとか
がらりとふすまを開けて「寒い~」と入ってきそうな
そんな感じがする時があります。

まだ、父が亡くなることなど実感のないときに
亡くなったらどれほど悲しいかと考えてみたことがあるのですが
実際にいなくなってみると
想像していたほどのつらい感じがあまりないのは不思議です。

なんとなく、いつも
そばにいるような心持ちがします。

亡くなってしまうと、
遠く離れて暮らしていた時よりずっと身近に感じると
ある人が言っていたのですが本当にその通りでした。

つらいかどうかは見送った時の状況次第で
今回は送る側にも逝ってしまう側にも心残りがあまりなかったからなのかもしれません。

ただ、結婚して25年実家から離れた沖縄に暮し
帰省して戻るときのつらい気持ちが嫌で
特に年とってからの父と母を残して沖縄に戻るときはたまらない気持ちでした。

この次元気な父と母に会えるかどうかわからないと自分に言い聞かせ
二人の姿を目に焼き付かせてから空港に向かったものです。
小さな覚悟とともに。

でも今考えてみたら
その小さな出会いと別れが
父の死と向き合う予行演習でもあったのかと思えてきます。

本当は「明日も生きているかどうか」なんて誰にもわからない。
目が覚めないのかもしれない。
それでも
そんなことはたぶんないだろうと思いみな生きているのでしょう。

今生きていることが当たり前のことではないと感じられるのは
大事な経験なのだと思います。
もし、ずっと父と母のそばで暮らしていたら、もっと違う感情を持っているだろうなと思います。

そう考えると、家族が離れて暮らすことも悪くないのかなと思ったり…

現実に、一緒に暮らしている家族の不和の話もよく聞きます。
一緒にいることのありがたさはそれがなくなって初めてわかるのでしょう。

一人っ子の私を嫁に出した父がそんなことを考えていたのかわかるようなわからないような…



Posted by テレーズ at 15:57│Comments(2)
この記事へのコメント
私もいつも実家から沖縄に向かうとき
もう会えないかもって思って
いつも辛かった。
離れて暮らす親不孝しているような・・・。

テレーズさんのブログよんで
気持ち楽になりました。

離れているからこそ・・・て
あるんですね。

ありがとうございます。
Posted by ひろ at 2011年01月29日 20:09
ひろさん
同じ気持ちなんだと思いました。
親と遠く離れて暮らす人は、みんな、後ろめたい気持ちを持ってるんでしょうね~
短いからこそ、密度の濃い時間が過ごせるのかもしれないですよね。
Posted by テレーズテレーズ at 2011年01月30日 15:30
 
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