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雪景色をみて

2011年01月30日

昨日の午後から降り始めた雪が積もって
朝は雪景色になっていました。

雪が降ると見慣れた風景が全く違って見えるのが不思議です。

私が通っていた高校は福岡にあって、創立百年を超えた校舎はずいぶんと古い建物でした。
寒い日は窓の隙間から雪が降りこんでくるというすごさ。
恐ろしいことに教室には暖房がありませんでした。

私はこの学校が大嫌いで、よくぞ不登校にならなかったと思うくらいの嫌な気持ちで通学していました。

ある雪の日いやいやながら登校していくと、風景が一変して、全く別の場所にきたみたい。
なんだか少しウキウキして学校に行きました。

ちょっとしたきっかけで、見慣れたものが違うものに見えてしまうという経験は時々あります。

父とのかかわりでもある日そんなことが起きました。
いつもはバースデーカードに「元気で長生きしてください」と書くのに
その年に限ってそれが書けなくなっていました。

父が生きるということを、子どもの立場で見ていた時には
できるだけ長生きしてほしいと思っていました。
永遠はあり得ないけど、大好きな人にはずっとそばにいてほしいから。

ところが去年の夏に限って父自身の立場で父が生きることを考えました。
いつかはやってくる「死」
生きることが終わりに近づいたとき、どんな終わりをむかえるのがいいのか。

その視点から私の立場を見てみると「父をどんなふうに送るのか」という目線になります。

一日でも長く生きてほしいとのぞむことが本当に父のためなのか?
それは、子どもの側のエゴではないのだろうか。

願いは「長生きしてほしい」から「幸せな終焉を迎えさせてほしい」に変わりました。

それはある日突然に起きました。なぜそんなことが起きたのか今でもわかりません。

そのあとから次々にいろんなことが起きて父を見送ることになりました。

この転換が起きる前に、父を見送ることになっていたらきっと混乱して大変だっただろうと思います。
それとも、私が準備オーケーとなったから父は逝ってしまうことになったのか?
不思議なことです。



Posted by テレーズ at 16:06│Comments(0)
 
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